「情」に厚く善政も評価される三成の実像に触れる近江路【滋賀県 長浜市・米原市・彦根市】
「びわ湖北東部巡り」の旅②
■私腹を一切肥やさない!? 「大一大万大吉」の理念とは
佐和山城と城下は活気にあふれ、「三成に過ぎたるもの」と謳われるほどの賞賛を得た。
半面、城の内部は驚くほど質素だったという逸話も残っている。
関ケ原の戦いの後、三成が六条河原で斬首されると、佐和山城は東軍に接収された。
新たに城に入ったのは、井伊直政(いいなおまさ)の軍。だが、兵たちは城内に財宝・金銀・宝飾品がないことに驚く。
龍潭寺(りょうたんじ)には、桃山時代の襖(ふすま)が現存している。これは三成が城主だった頃の佐和山城にあったものだといわれている。
表は一見華やかな花の絵が描かれた襖だが、裏は戸板といって差しさわりないほど質素だ。
境内には三成像も立つ。戦国武将にもかかわらず裃(かみしも)姿の坐像。
勇ましい甲冑(かっちゅう)の姿ではない庶民派の像は、三成の実像を忠実に再現している。
「残すは盗なり。つかひ過して借銭するは愚人なり」
三成が遺した言葉だ。農民から徴収した年貢を使い残し、私腹を肥やすは盗みと同じ。
使い過ぎて借金するのも愚か者という意味である。
三成は私腹を肥やすことを一切しなかったのだ。
「大一大万大吉」─一人が万民のため、万民が一人のために尽くせば、天下の人々は幸福になる。
その理念を旗印に掲げ、実践していた戦国武将こそが石田三成だったのである。
そんな男だっただけに今も地元で愛され続け、毎年11月、長浜市石田町で開催される石田三成祭は大勢の人で賑わう。
「筑摩江(ちくまえ)や 芦間(あしま)に灯す かがり火と ともに消えゆく わが身なりけり」
三成の辞世である。「筑摩江」とは、かつて琵琶湖にあった内湖(入江)であり、現在は米原町入江と呼ばれている。
その地名を枕詞に、かがり火のように我が命も消えゆくと詠んだ。
死の間際、三成の思いは故郷・近江にあった。そして、近江の人々の心は、今も三成とともにある。
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戦国武将・石田三成が生まれ育ち、秀吉と出会い、居城をもった地、滋賀県の長浜市・米原市・彦根市。3市には、石田三成公のゆかりの場所が各所にある。
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歴史ロマンあふれる3市にぜひ足を運んでみよう。
【ゆかりの地には三成マンホール】
石田会館などの近くには「大一大万大吉」を描いたマンホール。
【三成ゆかりの味「三成めし」】
三成をテーマのグルメ。和洋中の本格料理からスイーツまで多数。